マレー鉄道の謎/有栖川有栖

講談社ノベルズ  2002.5.8初版

相変わらず主役コンビの日常のボケツッコミと非日常時のシリアスさの
切り替え方の感じが良いですね。
人間とは斯くも哀しく優しきものなのか、と異国を舞台にしてしみじみと
説かれて行きます。相変わらず、脱帽ものです。(2003.2.4)

トンデモ美少年の世界/唐沢俊一

光文社文庫  1997.10.20初版

不遜を承知で言わせて戴くなら、稲垣足穂の感覚を現代風に味付けして
文体も粉々になるまで砕き、内容をとりあえず青少年でも読める程度に
希釈すれば本書になる、のかも知れません。
内容は極々まともな「美少年」関係を外側から見たエッセイ集です。
やおい関係にはかなり参考になる内容だと思いますよ。
リアルな世界にも結構リンクしてる感じですし。(2003.2.4)

蜜猟者 父子性愛の構図/作者不詳匿名

河出文庫禁断叢書3  1998.6.4初版

確か今を去る事十五、六年前。この本のハードカヴァー版を
大阪府立中之島図書館で読んだ、様な記憶があります。
正直、度肝を抜かれた。まだやおいのやの字も知らず、同人の
識別すらつかない頃の話です。この文庫版で『再会』した時も心中は
決して穏やかではなかったですね。同性父子相姦をしっかり描いていたから。
が、それだけの感慨しか再会後は抱けなかったです。正直、萌えません。
その要因の一つには登場人物達の自意識の余りの過剰さ。
そしてもう一つは余りにも自己完結的な展開でしょう。
同性愛及び父子相姦を出汁にして哲学を説かれ、尚且つそれが読む側に
伝わる前に作者の中で自己完結している…作者存命ならば許可を取り、
やおいの手法で何方かにリライトして欲しい歯痒さが今でも残ります。
                       (2003.2.5)

 追記
  改めて現物を手元にする事が出来たのでデータ等追加します。
  『禁断叢書』シリーズ3として発行。親本は1988年9月に河出書房新社から
  発行されていたとの事。記憶の確認として後は中之島図書館(若しくは
  大阪府立図書館)の蔵書に同書が存在するや否やでしょう。
  そして文体から受けていた大きな錯覚。戦後の性雑誌全盛時代の作品だと
  ばかり思っていましたが、親本発刊当時の作家が匿名で書いたものだった
  そうです(カバー袖にも明記)。
  カバーに使われている絵は『ヒュアキントスの死』。
  表紙には『当代一級の作家による匿名ポルノグラフィー』の文字が
  躍っています。   (2003.4.15追記)

少年愛の美学/稲垣足穂

河出文庫  1986.7.4初版

耽美の副読本、今ならショタのバイブル的に取り上げられているらしい
本なんですが…違うんですよねぇ、多分、微妙に。
何故ならこの本で愛される少年には『肉体的な愛』は捧げられないのですから。
ただ只管に崇拝が捧げられ、肉欲は排除されているのです。
少年の肉体すらも、精神性を持って語られる世界…逹したくもあり、
達したら達したで物足りなく感じるかも知れぬ、と俗っぽく思える境地です。
やおいとは、似ている様で180度違う世界の様に思えます。
                        (2003.2.5)

ゲイ文化の主役たち ソクラテスからシニョリレまで
/ラッセル,ポール:著、米塚真治:訳

青土社  1997.11.15初版

原題は『The GAY 100(副題略)』。その名の示す通り、ゲイ文化を確立する
立役者としての文化人100組のランキング式評伝であります。
葡萄瓜も不明ながらこの本を読んで『あ、あの人もゲイ文化の担い手なのか』と
見聞を広めさせて戴きました。歯応えもかなり有ります。
で、この本で言うゲイ文化と言うのは広い意味のゲイ文化なので担い手としての
レズビアンの方々も多々登場されているのですが、その生き方が本当に味わい深い。
同性愛と言う生き方に触れる為に、こう言う形式の本から接する事も必要かと
思います。同性愛嫌悪が読後に即座に消える、とは思いません。
ですが、同性愛=肉体重視、抔と言う偏屈な見方からは開放されるのでは無いか、
と思います。嫌う前に、まず知る事も重要では?  (2003.2.9)

潮騒の少年/フォックス,ジョン:著、越川芳明:訳

新潮文庫  1993.5.25初版

ゲイである事を自覚した少年の肉体を使った成長物語…と、最初の一読で
思っていました。でも、違っていたみたいです。
余りに饒舌に語られる学校生活の中に見え隠れする性的事項。
饒舌でいないと自分の性を確立できないかの様な印象を強く受けます。
行為を赤裸々に語りながらも、陶酔するばかりでなく冷静に自分と相手を
観察する…彼が必要としたのはただ純粋に共存する相手。
でも、相手が彼に求めた役割は…。ゲイ要素が前面に出た物語ではなく、
ゲイ要素を含んだ上で考えるべき成長物語、なのでしょう。
行為の描写がリアルなだけに、赤面もしますけどね(苦笑)
                      (2003.2.9)

菊慈童/円地文子

新潮社  1984.6.15初版

内容としては能を背景とした人間模様である、と申し上げておきます。
老境に差し掛かった時慈しんで読みたい、そう思える内容です。
此処で取り上げたのは装丁の美しさについて述べたかったからであります。
貼箱の朱を基調にした唐織(の印刷)。平は紺の布張りで書名を四角で
囲んだだけの箔押し。背文字は書名・著者名・出版社名のみのあっさりとした
箔押し。そして裏表紙は只管紺の布が凛として雰囲気を引き締め、見返しは
茶と金箔を基調とした唐織(の印刷)、本扉は惜しいかな脱色された
唐織(の印刷)…。唐織の部分を再現して装丁に使って戴けたら、などと
夢想してしまいます。装丁の為に買いたい本も、この世にはあるのです。
                      (2003.2.13)

江戸男色考(全三巻)/柴山肇

批評社
悪所篇 1992.12.10初版、若衆篇 1993.1.10初版
色道篇 1993.2.15初版

ここ暫らく江戸時代の衆道関係資料を読み返す事が多いと自覚し、
苦笑しています。葡萄瓜の解釈した衆道の精神性がかなりやおいに
似ているので傾倒するのかも知れませんね。
この全三巻の主要な題材は江戸時代の『衆道』を中心とした男色
ですが、その下地となったそれ以前の『男色』、そして明治以降の
男色にも言及してあります。
衆道の精神性がやおいと似ている、と感じたのは葡萄瓜の気の
所為でしょうか?どうも本書の中の世界を読む限りでは、現代の
男色よりはやおい的なものに近い様な感じがします。
そして又、それ以前の『男色』にも同じ様な気配を感じるのです。
『少年の心意気あってこその衆道、そしてやおい』
この本を読んでふとそう思いました。  
因みに、日本書紀にも同性愛の存在を示唆する記述はあったそうです。
肉体関係の描写はありませんが。  (2003.2.18)

ボクの彼氏はどこにいる?/石川大我

講談社  2002.7.12初版

この人のネット上の名前は『高橋タイガ』。
等身大の『同性愛を自覚した青年』の姿を描き出したエッセイです。
読んでいて思ったんですが、『男性同性愛者を表現する型紙』って
どこの誰が考えたんでしょうね?
オネェ言葉を喋り、なよなよした考え方で矢鱈と体が鍛えられて
いる…と言うのは良く目にする『型紙』なんですが、それに当て嵌めて
考えないと理解できない、って事なんでしょうか?
この著者からはそう言う気配、一向に感じません。
彼自身『型紙に従わなくてはならないのか?』と苦悶したそうですし。
彼は新たな型紙を作ろうとしているのではなく、型紙に雁字搦めになった
視界を開こうとしているのだ、と思います。
理解する前に、感じてみては?  (2003.2.18)

黒蜥蜴  江戸川乱歩原作に據る
 三島由紀夫:脚本、美輪明宏:演出

フロムスリー(上演台本)  1994.2.1発行

上演時に偶々台本が一般販売されていたので買い求めたものです。
乱歩御大の原典も非常に宝塚風な感じで好きなのですが、今回はこちらで。

そもそもこの舞台、三島さんが美輪さんに演じさせたくて脚本を
書いたそうですが…舞台を見て納得しました。
納得したと言うよりも、この脚本は美輪さん以外には適用できません。
美輪明宏と言う役者がいて初めて成立する脚本だろうと思います。
美に耽ると言う意味合いでの正に耽美です。
一歩間違えればドロドロのメロドラマになりかねない所を、本当に
皮一枚の所で恋愛推理活劇に仕立てた先達に、敬礼。
                    (2003.2.18)