『やおい好きな男は同性愛者』『ショタコン好きな男は
同性愛者』。そう言う今更な決め付けを口にして鬼の首を
取った様な素振又はその手の言質を見る度、溜息ばかりが
出てしまう。
やおいやショタコンの世界の外にいる人がそう言う事を
言うなら、まだこちらも放置しようと苦笑の一つも浮かぶ
けれど、やおいやショタコンの世界に居る人がこう言う発
言をするのを観ると言うのは、正直言って痛々しい。
膝詰談判でお聞きしたい気がする。
『貴方にとってやおい(ショタコン)とは、敵なのです
か?』と。
やおい及びショタコンと言うのはHomoPhobiaの現れ、と
言う解説を目にする事があるが、ではやおいやショタコン
を必要以上に同性愛と切り離したがる動きと言うのは何に
起源するものなのだろう。又逆にやおいやショタコンを同
性愛の方向に縛り付けたがる動きと言うのも、何かの恐怖
症なのでは無いか?
やおいやショタコンと言うのは二次元発祥の趣味だと言
う大前提を、忘れておいでではあるまいか。
この事に関してとみに思うのが現代用語の基礎知識に
おけるショタコンの説明の事。
『ふぁんろーど』発祥のショタコンと言う言葉はあくま
でもロリコンの対語と言う意味でありHeteroSexualの枠
内の言葉だった。(※)
が、1999年版と2000年版で独立項目として説明されてい
るショタコンは、語源から溯るに微妙に少年愛由来の犯罪
関連を匂わせている。やおいの補足項目としての部分では
ふぁんろーど説に基づいているにも拘らず、だ。
どう言う取材の上でああいう定義を用いたのか、本当に
知りたいものだ。ひょっとしたら只単に言葉の響きの問題
だけだったのかも知れない。根拠が一切書かれていない新
説だし。
ショタコンと少年愛をかなり都合よく混同している例も
今だに見られる。通説の少年愛の理念が古代ギリシャ起源
のものだとしたらとんでもなく的外れな混同だと思う。シ
ョタコン適性を卒業する年代こそが少年愛適性年齢の入口
足り得るのだから。
ショタコン=稚児愛だと言い張りたいならばほんの少し
信憑性は上がるだろう。あくまでも適性年齢上だけを見る
だけの話なら。
でも基本的な事を忘れてはいけない。
やおいの延長線上で現れているショタコンと言う分野は、
本来ロリコンの隙間に発生していたものでありやおいの発
展と共に移住したものだ。かつてロリコン商業誌の同人誌
紹介のコーナーに、男でありながら妹属性を持つ受が登場
する作品や犬耳受身少年登場作品が取り上げられていたと
言う記憶を幸か不幸か葡萄瓜は持っている。プロの作品で
もショタとしか言い様の無い作品がちゃんと商業誌に掲載
されてもいたし。
性差の踏絵を萌えの物差しに用いる人の思考回路は随分
ややこしい事になっているのだろうなと思う。
現実に存在すればアブノーマルと思われる二次元に萌え
つつ、自分はノーマルで居たいと要らぬ見栄を張る…疲れ
ませんか?
(2003.6.1)
※2004.3.6追記
この記事を書いた当時は現物の記事をしかと確認する事
無く書いたのでこう言う記述となった。
実際の記事では少年が『男子幼児に対して愛玩感情を抱
いてしまったのだか、この感情を何と表現するべきか』
という相談を持ち掛けたのに対し回答側が『ロリコンの
対で正太郎コンプレックス、ショタコンというのが適当
であろうが云々』とショタコンという言葉に対しやや否
定的なニュアンスで答えている。
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