娘御もすなる「やをゐ」4(2001.1.7)

 前の段で「アンソロジー」なる出版形態について触れた。偶々
最近他所様の掲示板で其の説明を承る事になったが、ふとこの履
歴を書く際に、アンソロジーの変容して行った様が思い浮かんだ
ので書き留めておく事にする。
 C翼のアンソロジーは、同人誌のエッセンスを煮詰めた傾向を
実に良く反映していた。実にやおいの魁らしい内容だったのだ。
其の傾向は後続の☆矢にも良く顕れていた。所謂「健全」を探す
のが難しくなった程に。
 其れが変わったのがサムライトルーパー(以下トルーパー)の
アンソロジー辺りから。原作サイドが介入してきてからだ。
 良くも悪くもこれは一つのステップと言えるだろう。其れまで
は言っては悪いが一種の「カタログ的な物」として存在したアン
ソロジーが、ある方向性をもった「オムニバス作品集」として認
知されたと言う証明でもある。
 そして其れは同時に、ブレーキを付ける事を要請された瞬間で
もあった。トルーパー以降のアンソロジーは、BLが認知される
まで「健全」に限定される事になる。たまに収録されたとしても
匂いを感じるまで。匂いから先の発展は、結局同人誌を見るしか
なかった。…多分、るろうに剣心(以下剣心)の辺りからやっと
大っぴらに其のシーンが復活しだしたのではなかったか。
 そして、アンソロジーの定着と共に、オリジナル内容の雑誌も
ソフト路線から始まって徐々に広がってゆく事になる。今思い出
しても、初期のソフト路線は心底のソフト路線だった。が、不思
議な事に邪まさは今のハードよりも深かった。匂わせ方が上手か
ったのかも知れない。
 ハード路線も最初はその筋引き写しそのものだったのが、耽美
と融合、転化してゆき、独特の進化を遂げていった。汗臭くない
肉体美、とでも言えばいいのだろうか?
 葡萄瓜自身の同人への関りも、この時期で変化していった。其
れは次回の講釈にて開陳するとしようか。