資料の漣 +の苦痛・−の快感(2001.2.1)  

 何とか邪ま1篇は降ろせた。しかし指の火照りが中々消えぬ。
 と言う訳で今夜もエッセイUPである。
 今日はどんな講釈をするやら、このオヤジは^^;

  さて、BL系統・及び本筋の物語を見るに、連結の際の受け
入れ側の苦痛には計り知れぬものがある。江戸時代の解説にも
「逆縁の穴」と言われる様に、出る物が大きいからと言って同
じ大きさのものが簡単に入る訳ではない。この辺は別シリーズ
『蕾は震える』でも書いたが、ある程度拡張してやらないと、
無理なものは無理だ。
 処が抜き差しして行く内に、ふとした快感が芽生えてくる。
 突き入れられるのは相変わらず苦しいが、抜かれる時に壁を
擦る感覚が何とも言えぬ…そうだ。理解できんよと思っていた
ら、一言添えてあった。
 『排便の快感と同じ様なものです』
 …尾篭では在るが、それなら良く判る。判ってしまう。
 で、今夜の特殊な道具の登場となる。

 其れは一見、巨大な数珠の出来損ないの様に見える。十数個
の珠が連なり、一方の端には引き手が付いている。縛るのでも
なく肌を這わすのでもないこの道具。実は人為的に排出の快感
と壁を擦られる快感を味合わせる装具だったりする。
 使用方法?排出と書いた時点で察して頂きたい。SMの方面
でよく遣われる道具らしい、とだけ書く。
 全く人間の欲求追及とは凄いものである。其処までして快感
を貪ろうと言うのか。
 …確かに排出時の快感は判る。充実が裏返って空虚になるあ
の瞬間。そして訪れる安堵感。又尾篭な表現になるが、便秘の
方ならお判り戴けようか?あの爽快感である。
 其れを人為的かつ再利用的に行うのが今回の道具であるのだ。
 言わば『空白の快感』を味わう道具、とでも言おうか。まあ、
使用前に多少空間を作っておく必要はあるが。
 結局、快感と言うものは排出と言う行為と表裏一体であるら
しい。今回の道具は其の象徴とでも言おうか。珠で壁を擦られ
るのもまた何とも言えないらしいが。