資料の漣 苔の生すまで

 この一文、何処に分類しようかと迷ったのですが題材絡みの話ですの
でこの括りにて。

 古今東西の史実を題材にした二次創作を好まれる傾向を『ヒモノ』と
昨今では申しますとか。殊に昨今では本邦の壬生狼や九郎判官が題材と
して好まれている様でございますね。これがドラマ化されたものに対す
る萌えですと少し水気が戻って『半ナマ』と称される様で。
 干物に対する萌えに顔を顰め眉を顰める外部の方も少なからずいらっ
しゃる様ですが、懸念は無用かと思われます。何故なら萌えを醸そうと
する人は妄想を愉しむ意図は在っても妄想で史実を書き換えようと言う
無謀な意図は恐らく持っていないだろうと思われるからです。逆から申
し上げると、史実が不変であると言う安心感があるからこそ妄想を愉し
んでいるのです。
 但し、あくまでも妄想は妄想ですからそれなりの場でそれなりの話が
通じる人と共に醸し育てる事が肝要です。史実を真面目に論じている場
でいきなり私的な妄想を話されて場をかき回されては、筆者にした所で
顔を顰めます。時折見聞するトラブルとは、そう言う食い違いが発展し
拗れてしまったものでございましょう。
 史実は史実として心して学習する必要がございます。史実と妄想を連
結させようと思うならば、それなりの心づもりは持っておいた方がよろ
しいでしょう。これは、やおい方面に限らず他の方面にも言える事かと
思われます。

 此処でふと、このヒモノ萌えの安心感と言うのは普通の二次創作に於
ける原典への萌え萎えの態度とも一脈通じるものがあるのでは無いかと
思い至りました。
 筆者もそうですが、二次創作に手を染める人の多くは原典を改作しよ
うと思って二次創作に手を染めているのではありません。原典の些細な
綻びから生じた自らの妄想を宥める為に二次創作に手を染めると言う手
段を取るのです。
 が、原典が二次創作の方へ近づくと正直言って萎えます。原典で二次
創作めいた事をされては二次創作をやる意義はなく、情熱は殺がれます
から。第一、読者全部が二次創作に手を染めているなら兎に角として、
極一部に原典側が媚びてどうしようと言うのでしょう。それこそ読者を
馬鹿にしてませんかと言う軽い失望感さえ覚えたりもするのです。
 ヒモノ萌えにはそう言う失望感を味わう恐れは、多分ないでしょう。
 但し取り扱いには重々注意は必要ですが。
                     (2005.3.15)