やおいから男は排除されている、と今だに思い込んでいる男性諸氏に
一言申し上げたい。
『ネットと画像を捨てて活字に遊ばれよ』と。
ネットで開かれる見聞もありますが、閉じられてしまう見聞もあるの
ですねぇ、と最近苦笑する事頻り。
男性小説家でやおいを書くといえば野亜梓さんと赤江瀑さんが思い浮
かびますねぇ。その世界の描き方は同性愛と言うよりはやおいに傾いて
いる、と思います。耽美色は強いですけどね。
煩悩讀書録その五で紹介した『武士道とエロス』からも結構小説は拾
えます。明治大正時代ってのは書生(学生)同士の擬似恋愛なんて結構
有ったようですしね(第2次大戦後も似た様な感じはあったらしいです
が)。
あ、有名所では無論三島由紀夫さんを忘れてはいけません。江戸川乱
歩御大も外せませんね。この辺までを読まないで『男の書いたやおいは
無い』なんて仰いませんよね?
古典では井原西鶴『男色大鑑』なんてのもありますし、絵巻でも伝鳥
羽僧正作『稚児草紙』がありますねぇ。浮世絵周辺でもお探しになれば
稚児絵関係は結構見つかります。
ここで出てきそうな反論。
『稚児や男色って…やおいじゃ無いじゃん』
そうでも無いんですよね、これって。稚児の場合、対象年齢は発毛以
前で逆転なし。男色にしたって元服前後の青少年(若衆)が受対象。逆
転はまずありません。
なんか気付きません?
そう。稚児って、結局ショタなんですよね。ただし極端な幼児は対象
外ですけどね。男色も社会機構的な柵が有って、極めてやおい的です。
若衆同士の恋愛的な部分もあります。が、若衆が年上を抱くと言う事は
社会上まず有り得ない。逆転が有り得るとしてもそれは元服を境に役割
を交代すると言うだけで、同じ組合せでの逆転は有り得なかった様です。
明治以降の書生同士の関係にしてもその延長で、元服により役割交代は
無くなったものの年上が年下を抱くと言う構図は変化しなかった様です。
同じ年代同士が好き合った場合はどうなったか、資料が無いから何とも
言えませんが。
翻って、『コミックの描き手はどうした』と言う声も挙がろうかと思
います。男性のやおいコミックの描き手…ゲイコミックの描き手さんの
中に極めてやおい的な味わいの方を見出す事はあります。が、そこが多
分限界。男性のやおいコミック作家さんはまだまだ少ないでしょう、と
葡萄瓜の狭い視界からは申し上げようが無いです。
ショタ絵作家さんは結構居る、と思うんですよ?受対象になる男の子
を上手に描く作家さんなら。
でも、残念ながら攻である大人と子供の中間の青少年を描ける男性作
家さんは少ないと思います。攻であっても何処かしら受の延長的風情を
残した感じの少年に近い青年を観る事が多い様な気がしてますし。
リアルな嘘を描ける人がこれから増える事を、一受け手として望みた
いと思ってます。
ショタ同士の絡みの年齢を其の侭上げればやおいカップルになる、な
んて安易な事は有り得ませんし、ね(苦笑)